「闇バイト」や「犯罪」に手を染めるのは、なぜダメなのか? – あなたが破滅します –

人生哲学

こんにちは、ゆうです。

実はこの記事を用意している間に、EXIT 兼近さんのYoutubeを途中までみる機会があり、
あまりにも厳しすぎる社会の「一部の人たち」の声に、とても悲しく・やるせなくなったのですが、
敬意を表してわたしも考えを発信したいと思ったので記事を書き上げることにします。

きっかけは、2日前の朝のニュースです。

「SNSなどの身近なツールによって、日本でもこんなに簡単に違法行為を始められるのか」と気づき、
「なぜやってはいけないことなのか」をきちんと説明しておかないと、あまりにも低いハードルを前に、『高い給金』目当てに犯罪行為を始めてしまう人がもっと増えるのではないか?と思ったからです。

そこでは当たり前かのように触れられていなかった
『なぜやってはいけないことなのか?』『やらない方がいいのか?』を、
誤解を恐れずに言うと、なんだかよくわからず加害者になってしまいそうな人向けに書きました。

これから「闇バイト」や犯罪行為に手を出そうとしている人たちに少しでも届いたら嬉しいです。

(というか犯罪者予備軍みたいな言い方も正確ではなくて、実際に「なぜやってはいけないことなのか」、確固たる理由を自分の中で持っている・持ち続けられる人じゃなければ、誰でも状況によっては加害者側になり得ると思っています。人間は弱いので。)

ということで、是非一緒に立ち止まって考えてみましょう。
(他にも意見があればぜひ教えて欲しいです!)

良くないことだから

多くの人にとっては当たり前なんですけど、まず、「良くないこと」「悪いこと」だからです。

人の権利を脅かす「暴力行為」「迷惑行為」は、相手に迷惑をかけるから絶対にダメです。

なぜダメなのかというと、お金などの資産もそうですが、
更に貴重な、代わりが効かない
他人の大事な「命」「健康」「経験」「感情」「時間」といった有限の財産に対して、
危害を加える行為だからです。

これら有限の資産は、加害者はもちろん、被害者自身でも時に回復ができないです。
(後に回復できたとしても、失った時間は戻ってきません。)

つまり、一度失うと、もう二度と取り返しがつきません

そんなものを本人の承諾なく奪い去る、強奪するなんてこと、許されるわけがないですよね。

というわけで、1点目は、償うことの出来ない、とても良くない行為だからです。

覆水盆に返らず・・・
ただ、この話だけで何もしないような人は、恵まれているのかも知れません。

今回は、1点目のような倫理的な問題だけでなく、
いかに加害者が損をするか、という面にも焦点を当てたいと思います。

正義は人の数だけあるから戦争が終わらないですし、
人と人が2人以上いたら、各々の人が体験・経験してきた中で信じる、もしくは選ぶ
「価値観」「宗教観」「倫理観」「文化」「好き嫌い」など「自分のものの見方」があります。

わたしはこれを「世界観」と呼んでいます。

人間は思っている以上に自分の認知している世界が全てなので、
そのずれにより、何もかもが違って見える状態がありえます。

※ マイケル・サンデルさんの『これからの「正義」の話をしよう』のトロッコ問題などもいい例で、
  紛争地帯だと暴力が正当化されることもあります。日本にも正当防衛がありますね。
  わたしの身近な友達には、『「死」というものはないのだ』という世界観の人もいます。

そうすると、犯罪行為を「良くないこと」「悪いこと」と思わない人も当然いると考えるべきです。

『他人を傷つけても、後悔する気がしない。』
『ぶっちゃけ他人なんてどうでもいい。』
こんな人にとっては、きっとこの話だけではピンとこないのかなと思います。

というわけで、別の角度からも考えてみましょう。

リターンに対してリスクが大きすぎるから

犯罪行為に及ぶことが加害者にとってどれだけ損になるか、考えてみたいと思います。

リスクを天秤に乗せるためには、
「その状況が起きうる可能性」✖️「起こった時の損害の大きさ」の両面を考える必要があります。

一つ一つ見ていきましょう。

捕まるリスク

第一には、捕まるリスクがありますよね。
これは、誰でも気づいていると思います。

日本という法治国家では、犯罪行為は『国に裁かれる』刑法で規定されています。

つまり、国民の総意で、国民のお金(税金)を使って、犯罪行為を取り締まっています。

皆さんは、数の力を意識したことがありますか?

皆さん自身がどう思っていようと、どんな世界観を持っていようと、
普段は否定されるものではありませんが、法律を破るとなれば別です。

法律は、この国で国民全員に認められ、守るべきとされているルールです。
(※民主主義かつ法治国家の特性上そう解釈しています。)

つまり、法律を破るということは、この国全体を敵にまわそうとしているということです。

特に刑法は、
『他人のかけがえのない財産(命など)を奪う、非常に重たい行為』を規制する法律のため、法律の中でも重要視されており、
刑法に反すると、それに応じた刑罰が『国家権力により(直接国により)』与えられることになっています。

大きい犯罪行為になればなるほど、基本的に一生逃げ切ることは不可能でしょう。

平穏を失う

意外と考えていない人が多いなと思うのが、「平穏な生活を失う」というリスクです。

兼近さんが「裏の世界」「表の世界」と表現していましたが、その通りで、
「裏の世界」はちょうど「表の世界」の真裏、正反対のルールで動いています

そして、気づいて欲しいのが、「表の世界」から退場したからといって、
あなたの周りからルールがなくなる(=自由になる)、ということはない
こと。

なぜかというと、人間は一人きりで生き続けることは難しく、
どの世界(社会)にも
必ず先人や天才がいて、上下関係や仲間関係、感情が存在する
からです。


一度犯罪行為に及ぶと、基本的には捕まりたくないと思うはずです。

その結果、「犯罪者同士の世界」に足を踏み入れることになります。

そこは、傷つけ合い、奪い合うことが認められるまさに闇の世界です。

この世界では「犯罪行為」が認められているので、平穏や安定は永遠に訪れないでしょう。

「裏の世界」で自由や幸せを勝ち取ることは、
基本的な人権が守られている「表の世界」で頑張るよりも何倍も大変なこと。

幸せを感じにくくなる

また、そもそも犯罪者になると感じにくくなる幸せがあります。

「人とのつながり」から得られる幸せです。

人とは他者、つまり自分以外の他人ですね。

どれだけお金を持って、自由に過ごせるようになっても、一人きりだと飽きてしまうことが多いです。
普通は1人でもいいから「相手」というものがいて、初めて深い幸福を味わうことができます。

愛じゃよ、愛。

でも犯罪というもので人に危害を加えた場合、その事実は、
誰に責められなくても自分の中からは永遠に消すことができません。

一時的に人とのつながりから幸せを感じても、罪悪感や「裏の世界」にいることから、
『自分がこんな幸せを感じていいのか』と思ってしまったり、
『自分も同じ目に遭うのではないか』と不安を感じたり、、、

これらの恐怖や不安を打ち消すほどの何かがなければ幸せを感じられなくなります

つまり犯罪行為は、自ら自分の「幸せのハードル」を上げてしまうことに繋がります。

社会的に信用を失う


社会からの信用、人からの信用というのはあなたにとって大切な財産です。

信用・信頼があれば人に助けを求めるなど、出来ることがたくさんありますね。
逆に社会的信用を失うと、お金を借りたり、仕事を探したりする時に、難しくなってしまうことがあります。

しかもこの財産は、実はでも築く(=作る)ことができます
「一貫性」「誠実さ」を欠かないように気をつけていれば、時間を味方にして増やせるのです。

信用・信頼が発揮する力は、凡人が使える最高のチート技といえます。

ただ、失うのは簡単でも、再度取り戻すことは難しいです。
一度失った信頼を取り戻すには、もともと必要だった『時間』がさらに多く必要になるからです。

『時間』は制御することができません。なので再度取り戻すには大変な労力がかかります。

そして、皆さんが信用を失っている間にも、着実に信用を積み上げている人は他にたくさんいるので、
相対的にみても皆さんが不利になります。

犯罪行為は、自ら自分の大切な財産である「信頼・信用を捨てること」に繋がります。

まとめ

結局、犯罪行為に走る人は、正常なリスク判断が出来ず、
目の前の短絡的な結果しか見えていないような状態にいるのだと思います。

『長く幸福を感じたい』と思うなら、
自分にとっての損得勘定で判断するとしても、100%割に合わないのでやらないはずです。

「不幸に長く生きる」か、「早死にする」結果しか見えません。

意外と人は簡単には死にません。
出口のない、長く深い苦しみや痛みが嫌なら、絶対にやめるべきです。

もうやってしまったという人は、せめて社会的に国に定められた方法で刑罰を受けて、
少しでも早く表の社会に復帰した方がいいと思います。

あとは、特に日本という国は比較的裕福なので、
真面目に生きていれば守ってもらえる制度がいろいろとあります

なんにせよ、「死ぬ気でやれば、大体なんとかなる」ので、
難しいとか考える前に、とりあえず頑張って何かしら足掻いた方がいいと思います。
逃げた先は大抵もっと厳しい世界です

※一部のサイコパスを除く
今までの話は、一部のサイコパスには当てはまりません。

サイコパスは自分が痛い・苦しいのが好きだったり、犯罪行為それ自体に快感や幸せを感じたりする
「生き物としてのバグ」のような存在なので、通常の感覚で理解しようとしても無理ですし、社会の枠組みで理解することもできないと考えています。

ただ今後の人生で関わることがないよう祈るばかりです。

遭遇した場合は、運が悪かったと諦めて、できる限り刺激しないうちに離れるようにしましょう。

というわけで、今回は、
「闇バイト」や「犯罪」に手を染めるのは、なぜダメなのか?
について書きました。

私はコードギアスというアニメが好きなのですが、
その中で「撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ」という大好きなセリフがあります。
あらゆる物事には因果や対価が存在するものです。

そのことを心に留めて、いいことを与え合うような世界観で、日々生きていたいですね。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました